
ゴールデンカムイ聖地巡礼、北海道3泊4日の旅で北海道開拓の村に行って来た
3泊4日聖地巡礼の旅、最後は聖地中の聖地である北海道開拓の村と北海道博物館を訪れました。あまりのボリュームなので前編では北海道開拓の村をご紹介。
後編で北海道博物館と帰京までの旅をお伝えしていきます。
■札幌~小樽
新千歳空港着==レンタカーを借りる==サッポロビール 北海道工場見学&取材==エスコンフィールドHOKKAIDO見学&食事==小樽へ移動==ホテル着==居酒屋で夕食==宿泊・終了
■小樽~札幌
三角市場でモーニング==宿チェックアウト==小樽市内観光(小樽市総合博物館 運河館、日本銀行旧小樽支店他、徒歩)==レンタカーで移動==「青塚食堂」でランチ==にしん御殿 小樽貴賓館(旧青山別邸)取材==小樽天然温泉 湯の花手宮殿で日帰り入浴==レンタカーで移動==夕食==「佐藤堂」で〆パフェ==すすきのホテル泊
■札幌聖地巡礼①
コメダ珈琲店でモーニング==北海道観光(北海道大学植物園・札幌市と境内・日本基督教団札幌教会・さっぽろテレビ塔)==サッポロビール博物館・ビール園見学&取材=サッポロファクトリー取材==水族館「AOAO」取材==「米風亭」==「ペンギン堂」で〆パフェ==すすきのホテル泊
■札幌聖地巡礼②
「名大にぎりめし」モーニング==ホテルチェックアウト==北海道開拓の村・北海道博物館取材==新千歳空港==帰宅
すすきの市場の角にある「名代にぎりめし」でモーニング

北海道旅行、最後の朝はココ「すすきの 名代にぎりめし」のおにぎりです。ホテルの目の前にあります。
すすきの市場の一角にあり、24時間営業している手作りおにぎり専門店。イートインもできますが、テイクアウトしてホテルの部屋でいただくことにします。

こちらのおにぎりは「塩握り」「醬油握り」のいずれかが選べるようになっていました。スタンダードな具材の他、「たらこバター」「明太チーズ」「さばトロ」などの変わり種も。

おにぎりと一緒に楽しみたいお惣菜や豚汁、もつ味噌煮込みなんかもラインナップ。寒い時期にうれしいおでんもありました。

私は「明太チーズ醬油握り」、小娘は「卵黄の味噌漬け醬油握り」、アツアツの豚汁をいただきました。おいしかったです。
Information
名代にぎりめし
住所:北海道札幌市中央区南6条西4-11-1 すすきの市場内
問合せ先:050-5488-8035
新さっぽろ駅から路線バスで「北海道開拓の村」へ

札幌市内から「北海道開拓の村」へは車で約35分。公共交通機関だと最寄り駅は「新さっぽろ駅」です。快速エアポートを使えば約46分。

新さっぽろ駅からJR北海道バス【新22】で開拓の村まで約20分でアクセスできます。すぐ近くには「北海道博物館」もあるので、両方訪問することにしました。
明治から昭和初期にかけての歴史的建造物を集めた野外博物館「北海道開拓の村」

「北海道開拓の村」は、明治から昭和初期にかけて建造された北海道各地の建物52棟を移築復元・再現した野外博物館。54.2ヘクタールの広大な敷地内には開拓当時の生活を体感できる展示が魅力となっています。

御存じの通り、映画・WOWWOW連続ドラマ「ゴールデンカムイ」のロケ地として注目を集め、ファンにとっては絶対いかねばならない聖地中の聖地となっています。また、入口の旧札幌停車場内のホールには、映画「ゴールデンカムイ」の展示コーナーも。
2025年は映画第2弾の制作も発表されているので、一度訪れた方でもまた行きたいスポットですね。北海道開拓の村は、「市街地群」「漁村群」「農村群」「山村群」と4つのエリアに分かれていました。
ほとんどの建物で撮影が行われている「市街地群」

「北海道開拓の村」のメインストリートとなっている市街地群。中央を貫くように市街地メイン通りがあり、夏(4月~11月)は馬車鉄道、冬は馬そり(12月~3月の土日祝、さっぽろ雪まつり期間限定)が走っています。
訪れた日は10月でしたので馬車鉄道でした。
映画「ゴールデンカムイ」の中では主人公の杉元佐一と第七師団とが、馬そりの激しいアクションシーンを撮影した場所として知られています。撮影に使われた馬そりは「北海道開拓の村」に寄贈されました。
旧手宮駅長官舎

1880年(明治13年)に北海道初の鉄道として幌内鉄道(のちの国鉄手宮線)が敷設。幌内(三笠市)の炭山から港のある小樽まで石炭を運ぶために敷かれました。

旧手宮駅長官舎は職員官舎として建てられたものです。ゴールデンカムイではケツアゴ署長の分署や茨戸の宿場町での抗争シーン、江渡貝くん家の内観などに利用されました。

ちなみに旧国鉄手宮線跡(1985年に廃線)は小樽で見てきました。現在は遊歩道として整備されています。

展示されている旧手宮駅長官舎は1884年(明治17年)のもので、外部の意匠などに洋式の手法が用いられるなど、当時はモダンな建物だったのではないでしょうか。
旧開拓使爾志通洋造家(きゅう かいたくし にしとおり ようぞうけ)

「旧開拓使爾志通洋造家」は1878年(明治11年)に開拓使の官舎として建てられた、アメリカ南西部の建築様式をまねた建物。外観は洋風ですが内部は畳敷きなどの和風と和洋折衷になっています。
ゴールデンカムイでは牧場経営者のエディー・ダン(モーリー・ロバートソンさんが演じてた)の家として登場していました。
旧福士家住宅

「旧福士家住宅」は明治前期の洋風建築と明治後期の和風住宅を接続した特異な建物。造船・通訳・気象観測・測量など広い分野で活躍し、北海道開拓に貢献した福士成豊(ふくしなりとよ)さんが、明治半ばから大正11年(1922年)まで居住した建物です。

ここでは江渡貝くんちの窓や土方お気に入りの籐長椅子、囲炉裏などが作中に登場していたそうです。
旧松橋家住宅

明治・大正・昭和にわたる都市生活者の住宅で、1918年(大正7年)以来、松橋家が居住していた建物です。松橋家は明治初期に秋田県から札幌に移住。農業および土地会社経営に従事しました。

何度か増改築されたようですが、大正7年の状況に復元されています。
ゴールデンカムイでは第七師団兵舎の内部として使われました。2巻16話で杉元が捉えられて、小樽の花園団子をふるまわれたテーブルセットも。

この他、いろいろなシーンに登場している旧松橋家でした。
旧有島家住宅

有島武郎さんが1910年(明治43年)5月から翌年7月頃まで住んだ建物。小説「生まれ出づる悩み」で、豊平川右岸の、1町歩ほどもある大きなりんご園の中にあった借家として登場しました。
当時、有島さんは東北帝国大学農科大学(札幌農学校の後身、現在の北海道大学)の英語教師。この家で「或る女のグリムプス」書いたのだととか。

こちらは小樽にある土方歳三のアジト外観に使われたり、第七師団兵舎として使われました。
旧浦河支庁庁舎

「旧浦河支庁庁舎」は1897年(明治30年)、北海道庁が郡区役所制度を廃止し、支庁制度を設けて置かれたのが浦河支庁です。建物は1919年(大正8年)のもので、1931年(昭和7年)に日高支庁と改称。
1956年(昭和31年)に浦河町に払い下げられ、堺町会館や博物館に利用されていました。

作中では家永カノが経営する「札幌世界ホテル」の外観に使われていました。
旧小樽新聞社

1894年(明治27年)に創刊された小樽新聞。旧小樽新聞社の建物は1909年(明治42年)の建築で、木造の骨組に札幌近郊で産出する札幌軟石(溶結凝灰岩)を外壁に積みあげた構造をしています。
作中では脱獄王・白石由丈と新聞記者・石川啄木の会話で登場する新聞社という設定です。
旧北海中学校

「旧北海中学校」は1905年(明治38年)創立。前身は札幌農学校第三期生らが中心になり、1885年(明治18年)年に設立した私立北海英語学校です。
建物は1908年(明治41年)~1909年(明治42年)に渡り、建築された本館部分。外観の意匠は、明治半ばから大正期の官庁や学校の木造建築によく見られる様式で、宇佐美少年が通う新潟の小学校という設定で登場しました。
旧龍雲寺

1886年(明治19年)に創建された浄土宗のお寺、篠路山龍雲寺。建物は1893年(明治26年)頃に落成した本堂で、開拓期の農村寺院建築の様式となっています。
土方たちが潜伏していたアジトの外観他に使われています。
旧島歌郵便局

北海道で近代郵便の取扱いがスタートしたの1872年(明治5年)のこと。「旧島歌郵便局」は1886年(明治19年)に島歌に設置されたものです。

1893年(明治26年)に畑野清治さんが2代目局長として就任。以後この局は畑野家に引継がれてきました。建物は業務用だけで、局長や職員の住居は別棟に。
作中では谷垣ニシパがフチからの電報を受け取りに来た釧路の郵便局という設定でした。
旧山本理髪店

「山本理髪店」は代替わりしても一貫して理髪店として使われてきた建物で、大正後期ごろのものといわれています。傾斜の急な切妻屋根、玄関の雨よけアーチなど、大正期の洋風建築の特徴を残したスマートな外観は、理髪業とよくなじみ、北海道神宮裏参道沿いの「床屋さん」として親しまれてきたそうです。

尾形が髭を剃ってもらっているシーンで登場。
旧浦河公会会堂

1894年(明治27年)に建築された「旧浦河公会会堂」。神戸で1880年(明治13年)に設立された北海道開拓会社「赤心社」は、翌年から西舎村や荻伏村に結社移民として入植しました。
「赤心社」の指導者の多くはキリスト教徒で、1886年(明治19年)に「浦河公会」が組織され、礼拝・集会所として利用されたものだそうです。

作中では、アシリパさんとソフィアが監禁された札幌の教会内部として登場しました。
旧大石三省堂支店

「旧大石三省堂支店」は、札幌の菓子舗で修行した大石泰三さんが、1925年(大正14年)帯広町の繁華街電信通りに店舗を求め、菓子の製造販売を始めた建物です。店は親子二代にわたり、1955年(昭和30年)まで営業を続けたそうです。

第七師団の1人である宇佐美上等兵が、鶴見中尉の命を受けて網走監獄で潜入活動を行ていた際、仲間に報告している隠れ家としてで描かれた場所だそうです。
旧武岡商店

「旧武岡商店」は商家兼店舗として1898年(明治31年)に建てられたもの。武岡家は淡路島から移住した移民の1つで、1882年(明治15年)から米穀、雑貨、荒物などを扱ってきた商家です。

店舗部分(写真撮ってないけど)は樺太の敷香の町で日用品の買い出しをしているシーンのモデルとなりました。
旧広瀬写真館

大正末期から昭和33年(1958年)まで岩見沢市街で営業した写真館を再現した建物です。外観は洋風、内部の多くは和風と和洋折衷。
撮影には自然光を使ったため撮影スタジオは2階に、北側の屋根をシングル・スラントと呼ばれた斜めのガラス張りとなっています。

作中では北見の写真館でみんな一緒に撮影会をする、という場面で登場しました。おじゃました当日は、七五三の撮影イベントが行われていたので入口でパチリ。
旧近藤医院

1902年(明治35年)に古平町で開業した近藤清吉さんが建てた病院。1958年(昭和33年)まで使われたものです。

木造2階建の医院棟は1919年(大正8年)の建築で、1階に診察室、手術室、茶の間など、2階に居室があります。石造2階建の文庫倉は、1897年(明治30年)頃の建築です。

作中では家永カノが療養した札幌病院や網走近郊の病院などで使用されました。
旧武井商店酒造部

「旧武井商店酒造部」は茅沼で石炭荷役、回船業を営んでいた武井家が、1886年(明治19年)頃に建てたもの。1895年(明治28年)頃から始められた酒造業では清酒「松の露」「玉の川」を製造し、戦時下の統制で酒造中止命令が出されるまで続けられたそうです。
こちらの外観、作中では小樽にある第七師団の兵舎に。

ロシアの狙撃手・ヴァシリが狙撃する場所へ駆け上がるシーンで登場したのでは、といわれている階段をパチリ。
旧三〼河本そば屋

1885年(明治18年)頃に石川県から小樽へ移住した河本徳松さん(当時18歳)が、そば屋の修行を積み、三〼そば屋ののれんを継いで新築したお店。小樽市街のなかでも最も栄えた地域にあり、多くの方に愛されたそば屋です。
主屋は1909年(明治42年)頃、お隣に建っている石蔵は1925年(大正14年)頃のもの。作中では杉元がにしんそばを食べた小樽のお蕎麦屋さんのモデルになりました。
旧近藤染舗

「旧近藤染舗」は1898年(明治31年)に創業された旭川で最も古い染物店。お店の繁盛にともない、1913年(大正2年)に新築された店舗兼住宅となっていす。
作中では樺太の敷香町で白石らが尾形に狙撃されるシーンなどで使われたそうです。
旧来正(くるまさ)旅館

「旧来正(くるまさ)旅館」は、東永山兵村に屯田兵として入植した来正策馬さんが建てた旅館兼待合所です。来正さんは1898年(明治31年)に退役後、開通直後の宗谷本線の永山駅前に移り、待合所を開業。
1918年(大正7年)に起きた石狩川の氾濫で被害を受けたため、翌年に再建して営業をスタート。旅人の宿泊や汽車の待合室として使われてきたものです。
作中では白石が小樽の遊郭へ聞きこみに行こうとする時に登場するなど、建物の内部は多数のシーンで登場しているとか。疲れ果てて中をまったく撮影していませんでしたw。
小樽に建てたにしん御殿の持ち主、青山家のある「漁村群」

1859年(安政6年)に山形県から北海道へ渡った青山家。沿岸を中心に鰊(にしん)建網などを経営した漁家です。建網経営には、番屋をはじめ網倉、船倉のほか海産干場、船入澗など多くの施設、設備を必要としたそうです。

鰊漁場の建物が、集約的に保存されているところは少なく、貴重な文化遺産の一つとなっています。そしてこの鰊漁で巨万の富を築き上げた青山家が、小樽に建てたのが「小樽 貴賓館(旧青山別邸)」。
その豪華さは「北の美術豪邸」の名にふさわしいものでした。

作中では茨戸の鰊場や小樽の鰊番屋で土方・杉元らが話をする囲炉裏端のシーンなどに登場。

この他、漁村群には「旧秋山家漁家住宅」「土谷家はねだし」がありました。疲れ果てています・・・。
駅逓所や屯田兵屋、開拓小屋などがある「農村群」
北海道では開拓使が設置されて以降、本格的な農業開拓が行われました。当時の風景を再現した農村群でもあちこちで撮影が行われています。
旧山本消防組番屋
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「旧山本消防組番屋」は札幌の山本地区にあった消防用具の格納庫。1919年(大正8年)頃に結成された地区の自警団を前身とし、のちに山本消防組となりました。
火の見櫓を持つ番屋はは大正後期に建てられたものを再現。1970年(昭和45年)まで消防活動を続けたそうです。
作中では火の見櫓が札幌市内で尾形がアシリパさんを狙撃しようとするシーンで使われたのでは、ということでした。
旧ソーケシュオマベツ駅逓所(厩舎)
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「旧ソーケシュオマベツ駅逓所」は、喜茂別村と徳舜瞥村(現在の伊達市大滝)の中間地点で、1909~1934年(明治42~昭和9年)まで営業していた官設駅逓所です。他に現存するものは少ないということで貴重な建物。
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駅逓は、明治・大正・昭和にかけて、荷物の搬送や郵便・宿泊などの業務を行ない、北海道の発展に大きな役割を果たしました。主屋は1907年(明治40年)頃につくられたもので、厩舎は1915年(大正4年)の建築。
作中では小樽の駅逓所や、苫小牧競馬場の厩舎外観・内部で使われたそうです。
旧田村家北誠館蚕種製造所
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絹(糸)の原料となる蚕の卵(蚕種)をとる建物です。浦臼村の養蚕伝習所教師だった田村忠誠さんが、当時模範とされた東京蚕業試験場の蚕室を参考に、1905年(明治38年)に建築。
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蚕種の製造販売を行なうかたわら、多くの養蚕技術者を養成したそうです。
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作中では土方が拉致された阿寒湖周辺の養蚕農家というシーンなどで使われました。
旧樋口家農家住宅
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「旧樋口家農家住宅」は1897年(明治30年)に建てられたもの。樋口家は富山県から移住した水田農家で、1893年(明治26年)に入植し、5年目にこの家を建てました。
富山出身の棟梁に建築を依頼したそうで、郷里の建築様式であるワクノウチ造がみられます。材料は、近くの原始林から切り出したそうです(復元に際し、同じ建築様式の山口家の解体材もあわせて使用)。
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疲れ果てていた小娘が嬉々として写真を撮りまくっていたのは、ラッコ鍋のシーンをここで撮影したからw。映画第2弾ではラッコ鍋、描かれるのでしょうか。
この他にも農村群にはたくさんの歴史的建造物があります。しかし、広い、広すぎる・・・。あまりにも疲れ果てたので山村群に足を運ぶことができませんでした。
ちなみに山村群にある「旧札幌農学校寄宿舎」などはいろいろなシーンで使われた建物なのだそう。また来訪してじっくり撮影したいと思います。
お腹が減って力が出ないので「開拓の村食堂」へ
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入口近くにある「開拓の村食堂」でお昼ご飯にします。こちらでは「屯田兵定食」「にしんそば」「北海道ビーフカレー」などが食べられるのですが、北海道に来て以来、ラーメンを食べていません。
ということで「さっぽろ味噌ラーメン」をいただくことにしました。小娘は大盛です。
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でもって北海道名物のいももちも。
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いももち、おいしーー。
こちらの食堂では団体向けのメニューも用意しているので、修学旅行や社員旅行など大勢で訪れる場合はあらかじめ予約しておきましょう。食堂は200名まで収容できるそうです。
入場口にはお土産やゴールデンカムイコーナーなどもあったりして
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最後にエントランス付近にあったお土産コーナーやゴールデンカムイのコーナーを流します(私は)。
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小娘は名残惜しそうに何回転も周遊。北海道開拓の村では撮影に使われた建物とシーンなどをていねいにまとめた展示やマップなども用意してくれているので、ファンには嬉しい配慮です。
皆さんも体力と相談しながらじっくり巡ってみてくださいね。
もちろんゴールデンカムイは知らないけれど・・・という方。北海道開拓の歴史や当時の方の生活を知る貴重な展示がいっぱいあります。
ぜひ、社員旅行や学生旅行、家族旅行などで足を運んでくださいね。
【後編】ではすぐ近くにある「北海道博物館」をご紹介します。
Information
野外博物館 北海道開拓の村
開場時間:5月~9月 9時~17時/10月~4月 9時~16時30分(入場は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日(祝日・振替休日の場合は、翌日)、12/29〜1/3
※さっぽろ雪まつり期間の月曜日は開館
入場料:1,000円
※10名以上で団体割引あり
住所:北海道札幌市厚別区厚別町小野幌50‐1
問合せ先:011-898-2692
※大型観光バス駐車場あり(事前に問合せがおススメです)。
■取材協力
北海道開拓の村
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