2024年は“逆打ちお遍路”の年、香川2泊5麺の旅(1)根香寺・白峯寺編
いつも古代史オタク旅行ばかりしている編集部Iですが、たまには普通!?の旅もします。
今回は大学のサークル仲間7名で香川県へお遍路とうどんツアーを楽しんできました。なかには40年ぶりに会う同期も・・・。
時の経つのは早いものですが、顔を合わせると20代のあの頃に皆戻っちゃうから不思議です。1日目はまず、うどん2麺の後、初お遍路へ出かけました。
せっかくなので「納経帳」も新調しちゃいました(逆打ち用)。
■逆打ちお遍路(1)~うどん2麺・根香寺・白峯寺~
高松空港集合==山越うどん==手打ち麺や 大島==根香寺==白峯寺==崇徳天皇御陵==丸亀城==本行寺(虎に翼)==骨付き肉 一鶴 丸亀店/羊苑==「スーパーホテル丸亀駅前」着・終了
■お遍路お休み~うどん1麺・女木島・男木島~
<女木島編>
古奈や(坂出市・がもううどんがダメだった)==高松港からフェリーで「女木島」へ==鬼ヶ島大洞窟==フェリーで「男木島」へ
<男木島編>
男木島着==たこ飯昼食==豊玉姫神社==男木島灯台==フェリーで高松港へ==高松城跡==瀬戸内味処 活==「コトリコワーキング&ホステル高松」宿泊
■逆打ちお遍路(2)~うどん2麺・大窪寺・長尾寺・志度寺~
「スーパーホテル高松・田町」集合==うどんバカ一代==大窪寺==長尾寺==志度寺==久米池うどん==高松空港==成田着終了
■番外編~田村神社・倭迹迹日百襲姫命~
瓦町「コトリ コワーキング&ホステル高松」==田村神社==瓦町でモーニング==高松空港
高松空港はあくまでも讃岐うどん推し
高松空港へ戻ってきました。待ち合わせ時間とリムジンバスの時間が合わず、しばらく空港でまったりします。
ここで2期下のKくんが車でピックアップに来てくれて、JALで来るYちゃんとも待ち合わせ。実は私、短期大学なのでお2人とは時期が被っていないのである(サークルのOB・OG会で1度だけ面識あり)。
出会えるかなー??
とりあえず、変な形のソファに座って待つことにします。「ん?」このソファって・・・?
離れてみたら讃岐うどんだった・・・。座りにくい。
なんとか3人合流できたのですが、もう1台、神奈川から浜松・大阪を経由してくるO君たちが来ない。ということで、まずは1麺目の「山越うどん」集合に急遽変更しました。
まずは讃岐うどんの人気店、綾川町にある「山越うどん」へ
高松空港から車で約20分ぐらいのところにある「山越うどん」。香川県のほぼ真ん中に位置する綾川町にあります。
ほぼ同じぐらいにO君たちも到着し、I君とは40年ぶりの再会を果たしました。
製麺所型のうどん店としては最も名の通ったお店で、名物は“釜玉”です。でもって営業時間が9時~13時30分までと短いのでご注意を。
地元であるKくんが注文のお手本を見せてくれるので、右に倣えです。まずは食べるうどんの量(玉数)を決めて、釜玉がよいのか、やまかけや月見がよいのか、冷たい・あついを選びます。
続いて、サイドメニューを選びます。
フライ系、天ぷら系がより取り見取りで目移りしてしまいます。どれも1品150円と激安。
無類のちくわ好きとしてはやっぱり釜玉+ちくわ天。すぐに2軒目が控えているのでうどんの量は「小」にします。
釜玉うどんにはちょろっと、お出汁をかけていただくのがおススメ。
すぐにもう1軒行くっていってるのに、おいおいなんだその量は!!!2玉じゃねぇかっ!?
食べ終えてちょっと物足りないかな、と思いましたが2軒目がすぐそこ。がまん、がまん。
久しぶりの讃岐うどんのおいしさに感動です。しかも、1玉350円と安い(2024年6月現在)。
Information
山越うどん
営業時間:9時~13時30分、日曜・水曜休み、臨時休業あり
住所: 香川県綾歌郡綾川町羽床上602-2
問合せ先: 087-878-0420
2麺目は高松市内にある「手打ち麺や 大島」へ
再び車で高松市内へ移動。約35分ぐらいで「手打ち麺や 大島」に到着。こちらは製麺所型セルフのお店となります。
食べたい麺の量を選び、サイドメニューから天ぷらをピックアップしてお金を払います。今回はレンコンと、アスパラガスの天ぷらにしました!
こちらのお店はセルフなので、温かいかけうどんがよい人はセルフで湯がきます。やってみたかったのですが、あまりにも暑い日だったので冷たいうどんにしました・・・。
「手打ち麺や 大島」は月に数回、国産小麦100%の日というのがあるようです。こちらのお店も1玉300円~とおやつ感覚のお値段ですね。
こちらのお店は15時まで営業。香川のうどん屋さんの多くは朝早めにオープンして、昼過ぎにはクローズのところが多いとのこと。
だから、立て続けに2麺だったというわけです。
Information
手打ち麺や 大島
営業時間:9時30分~15時、第1・第3・第5日曜休み、臨時休業あり
住所:香川県高松市太田下町3013-1
問合せ先:087-867-2895
お遍路逆打ちの旅、1か所目は「根香寺(ねごろじ)」へ
1か所目に訪れたのは高松市中山町にある第82番札所・根来寺です。入唐前の弘法大師・空海がこの地を訪れ、五色台の五つの峰(青峰、黄峯、赤峯、白峯、黒峯)の山に金剛界曼荼羅の五智如来(ごちにょらい)を感得。
主峰、青峰山に五大明王を祀り、花蔵院を建立しました。“五智如来”とは密教で五つの智慧(大日如来が備える法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)を五つの如来(人々を救済する仏)に当てはめたものです。
空海の甥(もしくは姪の息子)智証(ちしょう、円珍)大師が霊木で千手観音像を刻んで千手院を創建し、この二院を総称して根香寺といいます。智証大師が観音像を作った霊木の切株が芳香を放ち続けていたことから「根来寺」と付けたのだそう。
智証大師を守護した白い猿(山王権現)
智証大師が開基の際、白猴欅の下に山王権現(または白い猿)が現れ、大師を守護して創業を助けたといわれています。樹齢約1,600年で1975年(昭和50年)頃枯れてしまい、1991年(平成3年)に保存のために根を切り、屋根を付けてもと合った場所に据えているとかかれていました。
“白猴(はっこう)”とは白い猿という意味です。
本尊の千手観音は秘仏
後白河上皇は根来寺の本尊を深く進攻し、祈願所としていたそうですが、1582年(天正13年)の秀吉による四国攻めの際に伽藍を消失。本堂は高松藩主・生駒家と松平家により再建されています。
境内には寄進された3万体余りの観音像が祀られ、荘厳な雰囲気。本尊の千手観音像は桜材の一本造りで、33年に一度開帳される秘仏となっています。
「五大明王堂」には弘法大師・空海の開基にちなんだ五大明王(五大尊)木像を安置。五大明王(五大尊)とは降三世(ごうさんぜ)夜叉明王・軍茶梨(ぐんだり)夜叉明王・金剛夜叉明王・大日大聖不動明王の五尊のこと。
中央の不動明王像は南北朝時代の作、他の4明王は鎌倉時代の作とされています。
実は青峰山には人間を食べる恐ろしい「牛鬼」が棲んでいた!?
村人は、弓の名人・山田蔵人高清に頼み退治してもらうことに。しかし、高清が山へ入れど、なかなか牛鬼が現れません。
そこで高清は根香寺の本尊・千手観音像に願をかけました。そのおかげで牛鬼を見つけ出し、無事に退治したそうです。
高清は牛鬼の角を切り寺に奉納。その角は今でも寺に保存されています。また牛鬼の絵は魔よけのお守りとして親しまれているそうです。
Information
第82番札所 青峰山 千手院 根香寺
住所:香川県高松市中山町1506
問合せ先:087-881-3329
続いて「白峯寺(しろみねじ)」へ。根来寺から旧へんろみちが残されています
続いて訪れたのが坂出市にある第81番所「白峯寺」。五色台のうち最も西よりにある白峯山にあります。
根来寺や白峯寺などをつなぐ「五色台へんろみち」は1984年(昭和58年)に整備。旧へんろみちがむかしのままで残っているそうで、いまでもお遍路さんが利用しているとのこと。
82番所の根来寺と81番所の白峯寺との間は約4.6㎞、80番所の讃岐国分寺までは約7㎞と書かれています。最近は車でまわるお遍路さんが多いそうですが、実際に徒歩でまわる方も。
6月だというのに夏のような暑さの香川。アスファルトの照り返しも厳しくさぞ大変なことと思います。頭が下がりますね。
白峯寺も弘法大師・空海と智証大師が創建
815年(弘仁6年)白峯山に登られた空海は、山頂に如意宝珠を埋めて井戸を掘り、衆生済度(しょじょうさいど、この世で迷っている生きとし生きるものを苦しみから救い出し、悟りの世界に導くこと)。を祈願しました。
その後、智証大師は瑞光に導かれて白峯山に登頂し、地主神である白髪の老翁のご神託を受け、瀬戸内海に現れた光明に耀き芳香薫ずる霊木で千手観音像を彫造。これを本尊として佛堂を創建したと伝えられています。
本堂までの各お堂に干支の守り本尊が祀られています
白峯寺の珍しい形の山門(七棟門)をくぐると正面に護摩堂があります。左に折れると勅額門(ちょくがくもん)の右手に本堂へと上る階段があり、まずはそちらにお参り。
階段の途中には「薬師堂(未・申年・大日如来)/福禄寿」「行者堂(丑・寅年・虚空菩薩)/寿老人」「阿弥陀堂(午・勢至菩薩、戌・亥年・阿弥陀尿来)/布袋尊」「毘沙門天(子年・千手観音)」というように、十二支守り本尊と七福神をお祀りしています。
ちなみに「護摩堂/弁財天」は辰・巳・普賢菩薩、酉年・不動明王、崇徳天皇をお祀りする「頓証寺殿(とんしょうじでん)」は卯・文殊菩薩です。
本尊である千手観音菩薩を祀る本堂は別名・観音堂とも。本堂の前には毘沙門天が飾られていました。
1811年(文化8年)に高松藩主・松平頼儀公により再建された大師堂。中央に弘法大師・空海、左に稚児大師、右に庚申の本地仏青面金剛が祀られています。
お堂の前には大黒天。この他、本堂へ上がる階段の左手に「鐘楼堂」「廻向堂」がありました。
保元の乱で敗れ、讃岐へ流された崇徳天皇(上皇)
白峯寺には第75代崇徳天皇(以下、天皇で統一)の御陵があります。崇徳天皇は日本三大怨霊の1柱として有名ですね。
後白河天皇と崇徳天皇の間で勃発した皇位継承争いが保元(ほうげん)の乱。この争いは後々、平治の乱に繋がり平清盛(武家)が天下を取るきっかけにもなりました。
細かい説明は省きますが、戦に負けた崇徳天皇は首謀者として讃岐国(香川県)に流罪となります。その後、仏教に深く帰依した崇徳天皇は鳥羽上皇を弔うために3年をかけて「大乗経」の写経を行い、京都の仁和寺に納めてもらおうと頼みますが、後白河上皇はそれを拒否。
写経を崇徳上皇へ送り返したため、「日本国の大魔縁となり天皇を民とし、民を天皇としてみせる」と叫んで自らの舌を食いちぎり、滴る血で大乗経に「天下滅亡」と書き記して果てたと伝えられます。
その後、度重なる飢饉と洪水で社会が不安定になると、人々は崇徳天皇の祟りだとささやくように。この状況を見て朝廷は、1177年(治承元年)に崇徳上皇の魂を慰めるため、院号(院政を敷いた上皇・法皇の尊号)として「崇徳院」(すとくいん)を贈りました。
その後、明治天皇即位に際し「勅使」(ちょくし:天皇が派遣する使者)を讃岐国へ遣わし、崇徳天皇の御霊を京都へ帰還させて「白峯神宮」(しらみねじんぐう:京都府京都市)を創建。
また、昭和天皇も、崇徳天皇崩御から800年目にあたる、1964年(昭和39年)に崇徳天皇陵に勅使を遣わし、式年祭を執り行いました。
重要文化財「勅額門(ちょくがくもん)」と「頓証寺殿(とんしょうじでん)」
高松藩主・松平頼重公が再建した勅額門と頓証寺殿。頓証寺殿は崇徳天皇を祀る建物で、拝殿の後方に崇徳天皇御陵・本地堂・白峯権現堂を配し、それぞれと拝殿を渡り廊下でつなぐ、特異な形態を持っています。
中央に崇徳天皇、向かって左に白峯大権現、右十一面観音菩薩を祀るという、天皇・神・仏の三者を一堂で祀る形式は全国的にも類を見ない珍しいものです。後小松天皇は崇徳天皇の霊を祀る法華堂に「頓証寺」の勅額を奉納し、尊崇の意を表しました。
白峯大権現とは、相模の国(神奈川県)の大山に君臨した修験の大行者「相模坊」のこと。後に讃岐の国、白峯山に入山し、当山の修験業者(山伏)集団の統括者(大先達)となり、その神通力・法力により“大権現”として祭祀されました。
白峯山の守護神(鎮守)であり、崇徳天皇の守護神としても有名です。ご本尊は秘仏のため、前仏として建立された像になります。
頓証寺殿(とんしょうじでん)脇には、崇徳天皇にゆかりのあるとても大きな玉章木(たまずさのき)=銀杏の木がありました。
和歌の名手だった崇徳天皇。祟り神として恐れられたのは、祟られる側に“やましいこと”があったから。平将門・菅原道真・早良親王しかりです。
崇徳天皇と親交のあった西行法師が慰霊として御廟を訪れた際、天皇の霊と歌を詠み交わした話は上田秋成作「雨月物語」の「白峯」をぜひ。
Information
別格本山 綾松山 白峯寺
参拝時間:8時30分~17時
住所:香川県坂出市青海町2635
問合せ先:.0877-47-0305
駐車場:バスの駐車は要問合せ
「日本100名城スタンプが欲しい」ので「国分寺」「ところてん」は次のお楽しみに
第81番札所の白峯寺から80番札所の国分寺に立ち寄る予定でしたが、「日本100名所」のコンプリートを目指すKちゃんから「丸亀城」に行きたいというリクエストが。初日は丸亀に宿泊予定ですが、翌日は女木島・男木島の離島巡りを予定しているため、なんとか今日中に立ち寄りたかったとのことです。
電話で開館時間を問合せたところ、16時までなら開いているといわれたため、急遽、行き先を変更。国分寺は次回のお楽しみにし、丸亀城を目指します。
ちなみに崇徳天皇が無くなった時、荼毘に付すための勅許を得る間の約20日間ご遺体を浸したと伝わる「八十場(やそば)の霊泉」が白峯寺から車で約20分のところに。この八十場の霊泉の傍らでところ天屋を営む「清水屋(きよみずや)」のところてんは地元の名物なのだそうです。
こちらも次回のお楽しみにとっておきました。
来たぞ、丸亀城!
なんとか16時ギリギリに滑り込んだ丸亀城。Kちゃんは無事にスタンプをゲットできました。
築城400年余りを誇る丸亀城は標高約66mの亀山に築かれた平山城、別名亀山城といいます。石垣の名城として有名で、全国に現存する「木造天守十二城」の一つでもあります。
内堀から天守にかけて積み重ねられた石垣は、”扇の勾配”と呼ばれる特長的な積み方。白亜の三層三階の木造天守は国指定重要文化財に指定されています。
天守まで登る途中に広がる眺望。香川県にある山はなだらかな三角錐の形をした特徴的な山が多くみられます。
1597年(慶長2年)に生駒親正(いこまちかまさ)・一正(かずまさ)父子が亀山への築城をスタート。しかし、1615年(元和元年)徳川家による一国一城令により高松城を残し、丸亀城を廃城に。
1645年(正保2年)山崎家治が丸亀城を再築。その後、丸亀藩主となった京極高和が天守を完成させたそうです。天守は1943年(昭和18年)に国宝となりました。
天守からは丸亀市街地はもちろん、多島海である瀬戸内海なども一望。遠く瀬戸大橋も見えます。
天守には登れませんでしたが、この眺めだけでも来たかいがあったというものです。
Information
丸亀城
開城時間:9時~16時30分(最終入場は16時まで)
料金:大人400円、中学生以下無料
※20名以上の団体で割引あり
住所:香川県丸亀市一番丁
問合せ先:0877-22-0331(丸亀市観光協会)
バス専用駐車場:無料、丸亀城北堀端に5台程度駐車可能
ホテルに行く途中でちょっと寄り道、「法華宗 本行寺」へ
皆さん、NHK朝の連続テレビ小説「虎に翼」を見てますか?主人公である猪爪家 佐田虎子(伊藤沙莉さん)のモデルとなった、日本初の女性弁護士の1人である三淵嘉子(旧姓:和田嘉子)と両親兄弟が眠るお寺がここ「本行寺」なんです。
実は、三淵嘉子さんは私の大先輩にあたる方(M大学の短大出身)で、4年生に編入されたそうです。私は経済科でしたが、三淵さんは法律科だったということですね。
M大の短大はずいぶん前に廃校となっています。そもそも経済や法律を2年勉強して何になるんだ?というツッコみどころ満載。ほとんどの方は4年生へ編入されていました(私はしませんでしたが)。
大大先輩の墓前にお参りできて、みんな感激もひとしお!?
Information
法華宗 真門流 妙正山 本行寺
住所:香川県丸亀市葭町67番地
問合せ先:0877-23-3012
※狭い路地沿いにあるので、バスでの訪問はできません。
夜は香川名物・骨付き鶏とジンギスカンを食べに「一鶴」がやっている「羊苑」へ
この日の夜は「スーパーホテル丸亀駅前」に全員が宿泊(地元出身のKくんは帰宅)。夜ご飯は地元でも有名な「骨付き鶏一鶴」がやっている「ジンギスカン羊苑」に行きました。
「一鶴 土器川店」の2階にある「ジンギスカン羊苑」は、比較的予約が取りやすいということ。しかも、「一鶴」の骨付き鶏も注文できる、というのがミソ。
「一鶴」は人気店ゆえ、いつも大混雑&大行列ですが、「ジンギスカン羊苑」なら「一鶴」の骨付き鶏を行列なしで食べられるという裏技を知ってるKくんはさすが地元民です。
生後1年未満の仔羊を使ったジンギスカンはクセがなく、極上のおいしさ
骨付き鶏があるので、まずはラム肉のジンギスカンを2人前で様子をみます。
ジンギスカン鍋にたっぷりと野菜を敷き、その上に羊肉を乗せて焼くのがKくんのおすすめ。こちらのジンギスカン、本当にクセがなくておいしい!
隣に座ったO君とお互いの持病(糖尿病)の話で盛り上がりつつ(!?)、骨付き鶏は歯ごたえが楽しめる親鳥とやわらかい若鶏を1皿ずつ注文しました。
香川の名物・骨付き鶏とは、塩とコショウ、ニンニクなどで味付けした鶏モモ肉まるごと一本を焼いたもので、「一鶴」が発祥だといわれています。表面と皮はパリパリで、中はジューシー。
鶏肉から出た油におにぎり(ごはん)を浸して食べると絶品なのだとか。なんという背徳グルメでしょう。
結局、もう一皿ずつ親鳥と若鶏をお替わりしてしまいました。明日は朝一でうどんを食べてから、高松築港から女木島・男木島へ渡ります。
Information
骨付鶏 一鶴 土器川店/ジンギスカン羊苑
営業時間:17時~22時/土日祝 11時~22時、水曜休み
住所:香川県丸亀市土居町2-12-33
問合せ先:0877-23-9122
※土器川店は丸亀本店や高松店よりは比較的予約が取りやすいそうです。
バス会社の比較がポイント!