古代史オタクが行く京都3泊4日の旅~丹波国亀岡と保津川下り体験編~
京都3泊4日旅の2日目はいよいよオタクツアー。丹波国と呼ばれる(現代は“森の京都”と呼ばれる)亀岡に行ってきました。
今回のツアーを企画してくださったのは、保津川遊船企業組合 営業統括 豊田覚司(さとし)さんです。豊田さんとは2024年5月に行われた奈良の古代史オタクツアー・二上山遠足でお世話になりましたw(酸素が足らずヒーハーする私たちを温かく見守ってくださった・・・)。
まずは出雲大神宮に正式参拝した後、亀岡市文化資料館 副館長土井孝則さんが千歳車塚古墳をガイド。午後からは保津川下りをたっぷりと楽しみました。
■前乗りして鞍馬寺・貴船神社・晴明神社日帰り旅行
京都駅八条口着==ホテルに荷物預ける==朝ラー==鞍馬寺==貴船神社==川床でまったり==晴明神社==ホテル着==お目当ての居酒屋で夕食==宿泊・終了
■関裕二先生と行く丹波亀岡古代史に迫るツアー&保津川下り
小川珈琲でモーニング==亀岡駅集合==出雲大神宮==千歳車塚古墳==ランチ==保津川下り==嵐山着・解散==懇親会==ホテル泊
■蛇塚古墳と亀岡の歴史を学ぶ&関裕二先生の講演
ホテルチェックアウト==蛇塚古墳==亀岡市文化資料館==サンガスタジアムで関先生講演会==ホテルチェックイン
■東寺で朝活&三十三間堂
東寺==三十三間堂見学==ホテルチェックアウト==帰宅
亀岡に行く前に、お楽しみの京都モーニング「小川珈琲 境町錦店」
パン消費量日本一ともいわれる京都人。京都市街地北部に位置する「北山通り」はパン通りとも呼ばれ、パン屋さんが多く集まっているそうな。
初日は朝ラーだったので、2日目はパンでモーニングと決めていました。訪れたのは7時からやっている「小川珈琲 境町錦店」。
日本の珈琲文化の黎明期、1952 年(昭和27)に京都で創業した小川珈琲。創業70周年を迎えた2022年(令和4年)に、「小川珈琲」のアイコンとなる場所として「小川珈琲 堺町錦店」をオープンしました。
創業の地であり、「京の台所」として愛される錦市場からほど近い場所にある町家を改装。伝統に革新を重ねながら、長い歴史を刻んできた古都の趣を残す建物が話題を呼んでいます。
行く前から食べると決めていた「九条ねぎとしらすの玉子サンドイッチ」。自家製食パンで作るホットサンドです。
小娘は「京都産はちみつのシュガーバタートースト」を選択。こちらは京都産小麦食パンか全粒粉食パンか選べます。
モーニングにセットとなっているコーヒーは「オーガニック・ハウスブレンド」。ネルドリップで丁寧に淹れくれました。
コーヒーもパンも極上の味。贅沢なモーニングを満喫できました。
亀岡駅に集合、ここから路線バスで出雲大神宮に向かいます
亀岡駅はJR京都駅から山陰本線(嵯峨野線)で亀岡駅まで快速で約20分。京都市内からも意外に近いんです。
ところがこの嵯峨野線が曲者。京都駅の外れの外れにホームがあり、予定していた電車に乗りそこなってしまうという失態・・・。豊田さんに大変ご迷惑をおかけしました。
駅前には「サンガスタジアム by KYOCERA」が2020年1月に竣工。京都サンガの新しいホームとなっています。
「元出雲」とも呼ばれる「京都 丹波國一之宮 出雲大神宮」はなかなかのパワースポト
路線バスで約15分、出雲大神宮に到着です。島根にあるあの「出雲大社」と何か関係があるの?
実は「丹波国風土記」によると「奈良朝のはじめ元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。すなわち今の出雲大社これなり。」とあるそうです。このことにより、出雲大神宮が「元出雲」、といわれているそうです。
実際、亀岡には「出雲」という地名が現存。
これはなかなか興味深い伝承です(古代史知らないひとにとっては、何のこっちゃですよね)。創建は709年(和銅2年)、亀岡市内で最も古い神社といわれています。
ご祭神はもちろん大国主命(オオクニヌシノミコト)と后神である三穂津姫命(ミホツヒメノミコト)。まずはこちらで正式参拝させていただきました。
社殿は鎌倉時代のもので、1345年(貞和元年)に足利尊氏、後に細川勝元により修造され、現在に至ると伝わります(重要文化財)。
ご神体である御陰山は国常立尊(クニノトコタチノミコト)をお祀りする聖地
「天地ができた世界の始まりに現れた最初の神」である国常立命。出雲大神宮の本殿背後にあるご神体山「味影山」に古来より祀られています。
鎮座は1万年以上前ともいわれ、崇神天皇が丹波地方全域を平定された折に再興と伝わるようです。
本殿奥には古墳や古来の祭祀場でもある「磐座」もあり、部分的にご禁足地になっているのですが・・・。ここがとてもスゴイパワースポットとして知られています。
スピリチュアルなエネルギーを感じ取れるほど敏感ではないので、何とも言えないのですが、他とは違う清んだ空気感と厳かな雰囲気が漂っていました。
御影山の上にも磐座があり、社務所で入山許可が必要なエリアがあります。今回は時間の都合で行けなかったのですが、ぜひまた再訪してみたいと思いました。
ご神体山から湧き出る霊水「眞井の水」
神社の境内にはご神体から湧き出る眞名井の水があります。古くから近隣の田畑を潤し、地元の人々からは如何なる病にもよく効く霊水として信仰されてきたそうです。
ペットボトル持参で持ち帰る人もたくさんいらっしゃいました。ミネラルバランスが良い中硬水で、そのまま飲んでもおいしい水です。
小娘は晴明神社に続いて、出雲大神宮の御朱印もいただきました。
Information
京都 丹波國一之宮 出雲大神宮
住所:京都府亀岡市千歳町出雲無番地
問合せ先:0771-24-7799
千歳車塚古墳を遠望、の予定が近くまで駆け足で
続いて千歳車塚古墳(国の史跡指定)。時間が押してしまった関係で遠望しつつ、亀岡市文化資料館 副館長土井孝則さんのガイドに耳を傾けます。
千歳車塚古墳は全長80m、幅45mの前方後円墳です。築造は古墳時代後期(6世紀前半頃、成務天皇の御代)で、その規模から丹波国に住んでいた仲哀天皇5世の孫・倭彦王(やまとひことおおきみ)のお墓ではないか、といわれています(古代史オタクにとってはココ重要)。
いままさに、歴史作家の関裕二先生が仲哀天皇を含めた“タラシヒコ”の王家(古代豪族・尾張氏)についてを解き明かした「消された王権 尾張氏の正体(PHP新書)」を出版されたばかり。
路線バスの時間があるため、近くまで行くのは無理ではといっていたのですが、オタク界隈ではトレンドの人物のお墓かも、ということで前のめりに。焦る豊田さんを後目にみんなで駆け足しつつ、古墳の近くまでいってみました。
713年(和銅6年)までは丹波国・丹後国は1つの国であったことから、千歳車塚古墳の被葬者も丹波・丹後地域を統括した首長のお墓であることは間違いないようです。倭彦王(仲哀天皇五世の孫)は継体天皇(応神天皇の五世の孫、ココも大事)とともに、皇位継承者候補者として名前が挙がっていた人物。
亀岡は京都の奥座敷といわれているものの、京都市内に比べてメジャーな観光地といい難い場所です。しかし古代においてはタニハ(丹波・丹後・但馬・若狭)は大和朝廷誕生に大きく関わった重要なエリアとしてオタク界隈では常識(!?)
土井さんが「亀岡が京都の中心に2度なり損ねた。1度目は倭彦王(皇位継承者だったのに、恐れて逃走したといわれている)、2度目は明智光秀(丹波平定して亀山城を築城したのに、本能寺の変のあと、亀岡に逃げなかった)」とおっしゃっていたのがとても印象的でした。
倭彦王と継体天皇が皇位継承候補に挙がった理由を知りたい方は、ぜひ「消された王権 尾張氏の正体(PHP新書)」を読んでくださいね。
Information
千歳車塚古墳
住所:京都府亀岡市千歳町千歳車塚
午後からはいよいよ保津川下り、まずは乗船場でその歴史について学びます
路線バスで再び亀岡駅まで戻り、各自で昼食を済ませてから保津川下り乗船場集合です。乗船場は駅北口から徒歩約8分のところにあります。
保津川下りは亀岡から人気の観光地嵐山・渡月橋まで四季折々の渓谷美を楽しみながら約16キロ、2時間かけて旅するおススメのアクティビティ。船を巧みに操る船頭さんの絶妙なトークを楽しみながら、見どころを存分に味わいつくせます。
乗船前に保津川川下りの歴史について簡単にご紹介しましょう。
保津川は桂川?大堰川(おおいがわ)?
保津川は正式には淀川水系の「桂川(明治29年の河川法制定)」です。しかし、地元を流れる川を各々の名称で呼び習わして来た歴史があり、嵐山の渡月橋から下流は桂川、渡月橋から上流を大堰川(おおいがわ)と呼んでいるそう。
これは渡来人の秦氏(はたし)が大堰川下流域に大堰を築いて開拓したことによるもので、古くから堰が数多くあった川ならではの名称として今日まで伝えられています(引用元:京都府ホームページより)。
でもって、この大堰川のうち、亀岡から保津峡を流れる間を保津川と呼んでいるというわけです。とりあえず今回は慣習に従い、保津川と呼ばせていただきます。
丹波産地で切り出された木材を奈良の都に運ぶ水運として発達
保津川は古くから輸送路として利用されてきました。奈良時代末期から平安時代にかけて、丹波山地から切り出された良質な材を長岡京・平安京へと運ぶ筏(いかだ)流しを盛んに行ったと伝わります。
豊田さんからは以下のような見解をいただきました。
丹波国から木材を運んでいた歴史は、正倉院文書「天平宝字六年造金堂所解」(762年)からも知ることができ、文書には奈良の法華寺阿弥陀浄土院の金堂の造営に際して用材のおよそ半分を丹波から運んだとされます。
平安中期に編纂された『延喜式』(巻三十四)(729年)にも、丹波国滝額津(亀岡市保津)から大井(京都市右京区嵯峨か梅津)まで一丈四尺の仕の運賃が三七文とあり、民間での運搬が行われていたこと記述されています。
奈良時代後期には盛んに輸送路として活用されていたことがうかがえますね。
室町時代末期には、京都で使われる材のほとんどは丹波材で賄われるようになり、ますます水運は発達。このため、保津川の舟運を可能とするために1597年(慶長2年)に最初の開削工事が行なわれました。
さらに1606年(慶長11年)には嵯峨の豪商・角倉了以(すみのくら りょうい)が私財を投じ、世木から嵯峨までを開削したことは有名。これにより、丹波の農作物などの物資の大量輸送が可能になりました。
了以は船頭として瀬戸内の水運から抜擢。保津川流域に住む農家へと操船術が伝わり、以来1993年(平成5年)まで、保津川下りの船頭は世襲制として引き継がれてきたそうです(1993年から一般公募になっています)。
ちなみに舟運は、1899年(明治32年)の京都鉄道の開通、大正末期からのトラック輸送の出現により、徐々に衰退。1945年(昭和23年)頃にはその役目を終えました。
観光資源として蘇った保津川下りは、外国人をも魅了
保津川下りを楽しむ人が現れたのは江戸期から。1907年(明治40年)に夏目漱石が「虞美人草」の中で保津川下りを紹介するなどにより注目を集め、遊船観光事業として多くの乗船客でおおいに賑わいました。
1893年(明治26年)にオーストリアのフェルナンド皇太子が、1922年(大正11年)に皇太子エドワード8世をはじめとする英国王室、国内皇室の方々から愛された保津川下り。世界各国から文人・著名人が次々と訪れ、渓谷美とスリルを楽しまれるとともに、素朴な舟頭の竿さばきの見事さにも驚嘆の声が上がりました。
2017年(平成29年)には川下りの操船技術が亀岡市の無形民俗文化財に指定され、2019年(令和元年)には「クールジャパンアワード2019」を受賞。400年受け継がれてきた船頭の技・心意気はこの先も伝えていきたい「生身の文化財」と高い評価を受けています。
いざいざ保津川下りがスタート!しかし、このところの雨不足で・・・
保津川下りは団体での貸切もOK!今回は関裕二先生のオタクツアー御一行様で下ります。
乗船前に救命胴衣(ライフジャケット)を着用。大人用、子供用、幼児用が用意されています。
夏用でしたので、肩掛け式自動膨張式救命胴衣を着用。水の中に入ると自動で膨らむタイプです。
1つの船に3名の船頭さんが乗り込み、交替で船を操り、見どころをガイド。時々(絶え間なく?)ギャグもかまします。
今回の船下り、実は水量が足りなくて催行できるかどうかギリギリだったそう。なんとか下れたのはまさに出雲大神宮のご加護があったから(!?)
保津川ではラフティングも楽しめる
保津川では川下り以外に、ラフティングも楽しめるコースを用意。比較的流れの穏やかな場所で楽しめるファミリーコース、嵐山まで行く本格的なコースがあります。
途中、岩の上から川にダイブしたりとスリリングな体験も。
帰りに温泉を楽しむ、嵐山トロッコ列車に乗る、料亭でお食事をいただく、BBQを楽しむなど、いろいろなプランがあるそう。社員旅行や卒業旅行のアクティビティにいかがですか?
ホントは迫力の川下り&華麗な竿捌き!?となるはずが・・・
途中、川幅が狭くなるところ、岩場など数々のスリリングスポットがありますが、先ほどもお伝えした通り、水量が圧倒的に足らない・・・。
「きゃー」「すごーい」と淡々と叫ぶ人々。
もうちょっと一生懸命盛り上がってよ、の声で頑張るツアー客。でも、実際に目の当たりにすると船頭さん竿捌きはとても素晴らしく、感動しました。もちろん、トークも一流ですよー。
圧巻の渓谷美と巨石、保津川下りの痕跡
長い歳月をかけて作られてきた保津峡の美しさ。
実際に下ってみなければ見ることができない景色です。
実は保津川下りの船、以前はその船を下した船頭の力で乗船場迄曳き上げられていたそうです(今は電車で船頭さんは戻り、船はトラックで運んでいる)。川を下って来る筏や船との衝突を避け、岩場にへばりついて船を曳き上げるため、岐路は約4時間もかかったとか。
船頭さんが刺す竿の跡が岩に、船を人力で引きあげた綱の跡が所々に残されるなど歴史を感じるエピソードでした。
嵐山トロッコ電車ともすれ違います
途中、嵯峨野観光鉄道が運行しているトロッコ列車とすれ違います。山陰本線の旧線を活用し、トロッコ嵯峨駅からトロッコ亀岡駅までの7.3㎞を約25分で結ぶ人気の列車。
春は山桜と新緑、夏はセミ時雨と川のせせらぎ、秋は絢爛の紅葉、冬は雪景色と、四季折々の保津川渓谷の美しさが満喫できます。
保津川下りでは途中2回のトロッコ列車と遭遇するのですが、2回目はちょうど橋の上を渡るところに遭遇することもあるとのこと。
今回は列車が通るタイミングに合わず、ちょっと残念でした。
保津川下り名物!琴ヶ瀬茶屋さんの売店船
嵐山まであと少し、のところまで下ってくるとやってくるのが琴ヶ瀬茶屋さんの船。創業1919年(大正8年)の歴史ある売店船です。
いか焼、おでん、みたらし団子、ジュース、ビール、甘酒等を販売しています。
温かいみたらし団子を豊田さんにご馳走になってしまいました。ありがとうございます。
船の上で川下りを楽しみながらいただくお団子、とても粋な演出ですね。
嵐山・渡月橋に到着、観光客の多さにびっくり
約2時間の川下りも終了。渡月橋近くにある船着き場で船頭さんたちに別れを告げます。
優雅な船下りの時間は終わりをつげ、大勢の観光客でごった返す嵐山で現実に引き戻されます。京都はオーバーツーリズム気味でどの有名観光地も人が多く、思うように観光ができない印象。
保津川下りなら人混みを避けて、のんびりと京都の歴史や自然の美しさを満喫が可能です。エンタメ要素などが盛り込まれ、きっと楽しめるはず。
社員旅行や修学旅行、町内会・子ども会旅行などでぜひ、検討してみてはいかがでしょうか。
明日は午後からサンガスタジアム内で関裕二先生の講座があります。
Information
京都・亀岡 保津川下り
料金:大人1名6,000円、幼児~小学生4,500円
※修学旅行生の他、35名から団体割引あり
※貸切船 一隻144,000円~
営業時間はこちらを参照≫
住所:京都府亀岡市保津町下中島2
問合せ先:0771-22−5846
観光バス駐車場:要問合せ(無料)
■取材協力
関 裕二(せき ゆうじ)さんプロフィール
1959(昭和34)年、千葉県柏市生ま れ。歴史作家・武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。
仏教美術に魅せられ奈良に通いつめ、独学で日本古代史を研究。
『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』『神武天皇vs.卑弥呼 ヤマト建国を推理する』など著書多数。
*NHKカルチャー青山教室・目黒学園カルチャースクールで古代史講座が絶賛開講中。また、月1回、一般社団法人伝統文化交流協会主催の「古代日本史の正体」というテーマでの講座がスタートしています。興味のある方はぜひ!
京都から貸切バスをチャーターして日帰りで亀岡観光を楽しもう!
今回の豊田さんが企画された「歴史作家・関裕二さんと一緒に丹波亀岡の古代史の謎に迫るツアー」と同じコースを京都市内から貸切バスをチャーターして催行した場合の料金目安は以下の通りです。
■貸切バス料金目安
京都から日帰り利用(80㎞・9時間)
大型バス:103,499円~
中型バス:86,944円~
小型マイクロバス:74,536円~
※有料道路・高速道路代、バス駐車場代、ランチ代、拝観料、保津川下り料金などは別途実費となります。
※嵯峨野トロッコ列車や嵐山観光、亀岡城址(明智光秀が築城)などもぜひ巡ってみましょう。
関西エリア発で貸切バスを利用した場合の料金目安はこちらも参考に≫
▼貸切できる観光バスの種類一覧
貸切送迎バスの種類|大型バス|中型バス|小型バス|マイクロバス|サロンバス
バス会社の比較がポイント!