古代史オタクが行く奈良・和歌山2泊3日の旅~熊野三社巡り編~

古代史オタクが行く奈良・和歌山2泊3日の旅~熊野三社巡り編~

熊野三社詣でバスツアー2日目はついに和歌山県・熊野へ。いろいろご調整いただき、朝一で神倉神社へ参拝できることとなりました。

神倉神社も世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産・大峯奥駈道の一部。権現山の中腹に鎮座し、熊野三山に祀られる熊野権現が初めて地上に降臨した伝承をもつ古社です。

5百数段ある急峻な石段はまさに命がけ!?天気が悪ければ中止でしたが、晴天に恵まれ無事参拝が叶いました。

■ツアー番外編&関裕二先生講演会in葛木御歳神社

JR御所駅==お菓子処・あけぼの==洋食屋ケムリ食堂==葛城一言主神社==九品寺==近鉄御所駅集合・出発==葛木御歳神社・関先生講演会==大和八木駅到着・終了==懇親会==帰宅

御所観光と関先生講演会≫

■関裕二先生・東川(うのかわ)宮司さんと行く熊野三社参りツアー

<1日目午前:奈良・十津川・玉置神社参拝編>

近鉄橿原神宮駅集合==葛木御歳神社==十津川村「谷瀬の吊り橋」休憩&昼食==玉置神社==猫又の滝==十津川温泉「湖泉閣 吉乃屋」宿泊

十津川・玉置神社編≫

<2日目:熊野三社巡り編>

宿出発==神倉神社==熊野速玉大社==「しもじ本宮店」で昼食==熊野本宮大社==道の駅 吉野路大塔==近鉄橿原神宮駅着・解散

ツアー番外編:蘇我氏ゆかりの地を巡る

大和八木駅==宗我坐宗我都比古(そがにますそがつひこ)神社==入鹿神社==今井町==JR畝傍駅

蘇我氏ゆかりの地を巡るはこちら≫

熊野速玉大社は“新宮社”?熊野大神が一番最初に降臨した「神倉神社」

神倉神社
神倉神社

神倉神社は和歌山県新宮市にある神社で、「熊野三山」の一山である「熊野速玉大社」の摂社。境内は国の史跡「熊野三山」の一部であり、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部でもあります。

熊野大神が熊野三山として祀られる以前に一番最初に降臨された聖地ということで、熊野速玉大社は神倉神社に対して「新宮社」と呼ばれているそうです。

神倉神社のスゴイ石段
急こう配の石段が続く

“天ノ磐盾”という峻崖の上にあり、熊野古道中の古道といわれる五百数十段の仰ぎ見るような自然石の石段を登りつめた所に御神体のゴトビキ岩があります。

“天ノ磐盾”とは「日本書紀」神武東征くだりに「遂に狭野(さの)を越えて、熊野の神の邑(むら)に到り、また天の磐盾(あまのいわたて)に登りて・・・」と描かれた場所。

神武天皇が土地の豪族の抵抗にあい、難渋しているとき、高倉下命(たかくらじのみこと)が剣(韴霊<ふつのみたま>、奈良の石上神宮のご神体)を授け、三本足の烏である八咫烏が大和入りを先導するとあります。

神倉神社のご神体であるゴトビキ岩(大きなヒキガエルの意味)の側下から、昭和31年に大小22古の銅鐸(どうたく)破片が発見されているそうです(引用元:神倉山とお燈祭り~「日本書紀」に描かれた「天の磐盾」より)。

行きはよいよい帰りは怖い!?神倉神社の石段

果たして頂上まで無事たどり着ける?

標高120メートルの神倉山に鎮座する神倉神社。538段ほどある急こう配の石段は、源頼朝が寄進したと伝わる鎌倉積みなのだそうです。

写真ではちょっとわかりにくいですが、こちらの石段、かなりヤバイです。ていうか、降りられるのでしょうか・・・。

急な石段も息を切らすことなくすいすい

しかし、不思議なことに二上山で心臓が止まりそうになったにもかかわらず、ここの石段はまったく疲れ知らずで一気に登ってしまいました。いわゆる“気が合う”ってことでしょうか。

ヒキガエルも実際に住んでる!?ゴトビキ岩

巨石がご神体の神倉神社
ゴトビキとは地元の方言でヒキガエル

遂に到着しました。高さ約11mの大岩、ゴトビキ岩をご神体としてお祀りしている神倉神社です。

ヒキガエルに見えるでしょうか

地質学的に言えば、熊野酸性火成岩類の流紋岩(急速に冷えたマグマで二酸化ケイ素を多く含む火山岩)で形成された巨石で、約30mもの長さの大しめ縄が巻かれています。

前述で紹介した神武天皇を助けた高倉下命と天照大神が御祭神。新暦2月6日の夜に行われる「御燈(おとう)祭り」という特殊神事が有名です。

熊野の来臨を再現し、各家々に神の火を招く神事「御燈祭り」

ゴトビキ岩の手前にある神倉神社の鳥居
ゴトビキ岩手前にある鳥居

「御燈祭り」は白装束に荒縄を締め、松明(たいまつ)を手にした男たちが暗闇の中、ゴトビキ岩まで登り、一気に駆け降りという神事。男たちが登りきると、上写真の鳥居の扉が閉められ、鍵がかけられるとか。

すべての松明に灯りがともると、出口が開け放たれて一気に駆け降りていく姿は「生命誕生の営み」と表現する人もいるそうです。

ゴトビキ岩の斎場
ゴトビキ岩の斎場

ゴトビキ岩の裏手には白い玉石が敷き詰められた斎場があり、まさに”ホト(女陰)”そのもの。石段を駆け降りるのは、まさに生死(精子!?)を掛けた男たちの熱い戦い、といったところでしょうか。

山の祭礼に参加できるのは男性に限られていますが「女性軽視」ではなく、危険な役割は男性に任せ、男女がお互いに大切な役割を分担しあう、ということで現代まで伝えてきました。

男性が山へ行っている間に女性は住まいを整え、火の到着を待ちます。到着すると竈に火を入れ、熊野神の来臨を家族に告げ無病息災を祈ると同時に祝いの膳を準備し、新年の喜びを一緒に分かち合うというのが「御燈祭り」。

和歌山県指定無形民俗文化財に指定されています。

地元の方のお導きでパワー全開の下山

足元を見て、遠くを見ないのが下りのコツ

さあ、果たして転ばずに下山できるでしょうか?ゴトビキ岩でお会いした地元の方からアドバイスをいただき、遠くは見ずに足元だけをしっかり見ながらゆっくり降りることにします。

途中、ねじれて成長している木があります。神倉神社には2本だけあるそうで、木がねじれるのは神様が通った跡だといいます。

神様が通った後の木はねじれる
木がねじれて成長しているのは“神様が通った証拠”

こちらの木からたくさんパワーをいただき、10歳若返って見えるヨ、と地元の方にいっていただきましたw。

「神倉神社」でもう1か所、パワースポットといわれる岩

パワースポットといわれる岩

もう1か所、地元の方からパワースポットだから行ってきなさいといわれたのが「猿田彦神社」です。鳥居に向かって左手にあります。

上写真で古代史友のもんちゃんが両手を広げて立っている岩がそうです。たくさんのパワーをいただいて、今度は熊野速玉大社に向かいます。

Information

神倉神社(熊野速玉大社の摂社)
住所:和歌山県新宮市神倉1-13-8
問合せ先:0735-22-2533(熊野速玉大社)

熊野速玉大社に行く途中においしい鈴カステラの店「香梅堂」に寄り道

香梅堂
熊野速玉神社から徒歩約5分のところにある「香梅堂」

今回のバスツアーに参加されていた奈良在住のCさんから、熊野速玉大社近くにある「香梅堂(こうばいどう)」の鈴カステラがおいしいと聞いた一行。神倉神社から熊野速玉大社まではバスで移動予定だったのですが、歩いてもさほど距離はないということばにつられ、有志(食いしん坊!?)でぞろぞろと向かいます。

香梅堂の「鈴焼」

正確には「鈴焼」という名前でした。日持ちはしないだろうなと思い、ご自宅用に1つ購入しました。

同行した旦那は会社のスタッフ全員に1つずつ大人買い。ぞろぞろと集団で買いにきたので、お店の方はさぞやテンテコマイだったのではないでしょうか。

帰宅してこの「鈴焼」を食べたところ、あまりの美味しさに大人食い。上品な甘さ、バターやミルクのコクがおいしすぎて、どうにも手が止まりません。

こちらの鈴は熊野速玉大社の神鈴がモチーフになっているのだそうです。熊野を訪れたら絶対に「買い」ですよ。

Information

香梅堂
住所:和歌山県新宮市大橋通3-3-4
問合せ先:0735-22-3132

どのような姿、身分の方でも分け隔てなく受け入れる「熊野速玉大社」

熊野速玉神社に無事到着

「鈴焼」に目がくらんだ一行も無事「熊野速玉大社」に到着しました。「熊野速玉大社」は全国にお祀りされている熊野神社の総本宮です。

御祭神は熊野速玉大神(伊邪那岐神)、熊野夫須美大神(伊邪那美神)。この他10柱の神々が祀られ、「新宮十二社大権現」として全国から崇敬を集めています。

先ほど訪れた神倉神社(元宮)から熊野権現を勧進するために、景行天皇の時代に社殿を造営したと伝えられており、熊野速玉大社は「新宮」と呼ばれているそうです。

手力男神社・八咫烏神社
手力男神社・八咫烏神社

鳥居をくぐりすぐ右手には「手力男(たじからお)神社」「八咫烏(やたがらす)神社」。そのまま真っすぐ進むと、「神門」の手前に御神木の「梛(なぎ)」、「熊野神宝館」があります。

御神木の「椥」
御神木「椥」

平重盛公御手植えと伝わり、樹齢約1,000年を超える御神木の「梛」は国の天然記念物に指定。「熊野権現」の象徴といわれ、道中の安全を祈り、この葉を懐中に納めてお参りすることが習わしだったとか。

熊野牛王とナギの葉をいただくことが、難行熊野詣を無事果たす大きな支えとなりました。

「神門」をくぐり、いよいよ境内へ

熊野速玉大社のお社

今回のツアーに同行してくださった葛木御歳神社の宮司である東川(うのかわ)さんは、「熊野速玉大社」権宮司である上野潤さんとお知り合いということで、特別にお話を聞かせてくださいました。

「熊野権現」とは何か

熊野権現とは

古来から日本人は万物に精霊が宿るとするアニミズム、「多神教」の民。神倉神社のように大きな磐座や山そのものがご神体というように、自然を畏怖し崇める自然信仰が行われてきました。

その後、仏教が日本へもたらされて神仏習合が進むにつれ「熊野権現信仰」が全国へと広まっていきます。「権現」とは、“仮の姿としてこの世に現れる”ということ。

熊野では神が仏さまの姿になって現れた「熊野権現」という信仰が行われてきました。熊野三社に祀られている神は、それぞれ仏の姿も持つことになり、「熊野三所権現」ともいいます。

熊野速玉大社は「薬師如来」、これから行く熊野本宮大社は「阿弥陀如来」、今回は行けない熊野那智大社は「千手観音菩薩」といわれています。

熊野がなぜ「甦りの地」といわれたのか

山深い熊野は簡単にはたどり着けない場所。それでも人々は難行苦行を覚悟に熊野を目指し「蟻の熊野詣」ということばまで生まれました。

中には奥州(岩手)から8回も熊野に詣でた(もちろん歩いて)という方もいらっしゃったそうです。熊野速玉大社の参道の中ほどに「奉八度参詣(ほうはちどさんけい)の碑」があり、新宮市指定の有形民俗文化財となっています。

熊野速玉大社では、たとえ参詣者のわらじが雨で濡れていても、泥で汚れていてもそのまま温かく拝殿に迎え入れたそうです。

命がけで向かった熊野の地で、罪や穢れが洗い流されて自分本来の姿を取り戻し、再び生きる力を与えてくれる。上野権宮司さんは「熊野速玉大社が“甦りの地”といわれる本意は、正にここにあります」とおっしゃっていました。

なぜ熊野は「詣」で、伊勢神宮は「参拝」なのか?

よく神社に行くことを「参拝」「お参り」するといいます。「参る」ということばは、「~へ行く」という意味の謙譲語。

神様へ敬意を払い、手を合わせて「拝む」ので「参拝」というわけです。「参詣」ということばには神様にはかなわない、まいりました、という意味合いも感じさせます。

しかし「詣」ということばには、もともとは「神様の元に、自発的に感謝を述べに行く」という意味があるそうです。

伊勢神宮には「参詣」を使うが、熊野神社には使わない。また、「お伊勢参り」とは言うが「詣でる」とはいいません。

その理由は「距離感なのではないか」と上野権宮司さん。伊勢まで京からは近いですが、熊野は圧倒的に遠く簡単にはたどり着けない場所です。

自分の意志で厳しい山道を歩き、苦難を乗り越えてたどり着く場所。それはまさに「熊野詣」の本質そのものではないかと感じました。

宮司さんと一緒に記念撮影
皆さんと記念撮影

最後に上野権宮司さん、東川宮司さん、関裕二先生などと記念撮影。また必ず熊野に詣でたい、と強く心に刻んだ旅でした。

Information

熊野速玉大社
住所:和歌山県新宮市新宮1番地
問合せ先:0735-22-2533

お昼ごはんは和歌山のソウルフード「めはりずし」

「しもじ本宮店」で昼食
「しもじ本宮店」で昼食

お昼ご飯は「しもじ本宮店」で和歌山県新宮市名物の「めはりすし」をいただきました。

しもじ御膳
しもじ御膳

「めはりすし」とは塩で漬けた高菜で、おおきなおにぎりを包んだもの。名前の由来には、「目を張るように口を開ける」「目を見張るほどに美味しい」という説や、「おにぎりに目張りをするように完全に包みこむから」などさまざまな説があるそうです(引用元:農林水産省ホームページより)。

そしてもう1つの郷土料理が「さんま寿司」。保存食として広まったそうで、山間部では貴重な栄養源だったのだそうです。

「しもじ本宮店」名物の「うすかわ饅頭」もおいしかったです。

Information

しもじ本宮店
住所:和歌山県田辺市本宮町本宮285
問合せ先:0735-42-0312
※バス駐車場あり

最後に「熊野本宮大社」と「大斎原(おおゆのはら)」へ

熊野本宮大社

ついに旅も終わりに近づいてきました。バスツアー最後に向かったのは「熊野本宮大社です。主祭神は家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)/素戔嗚尊。

熊野速玉大社と同じ、「熊野十二所権現」と呼ばれる十二柱の神々をお祀りしています。ちなみに本宮は西方極楽浄土と呼ばれ、新宮(熊野速玉本社)は東方浄瑠璃浄土、那智大社は「南方補陀落浄土」といわれているそうです。

そして、熊野本宮で授与してくれる「熊野牛王神符」は烏文字で書かれており、スサノヲとアマテラスの誓約、神武の故事に由来するといわれているそうで・・・。

関裕二先生の講座より
関裕二先生の「熊野ツアー講座」より

熊野権現への誓約を破ると、熊野大神の使いである烏が一羽なくなり、本人も血を吐いて地獄におちるとか・・・。鎌倉時代になるとご神符は「誓約書」ともなり、江戸時代には「起請文(きしょうもん)」の代わりとしても用いられたそうです。

熊野本宮大社の境内にはあちこちに3本足の八咫烏がいます。郵便ポストの上に乗っかった八咫烏を撮影しようと思ったら、どこぞのカップルに「じゃまじゃ、ボケ!」と丁寧に罵られてうまく撮影できませんでした。

大斎原まで徒歩約5分

本宮にお参りした後、大斎原へ向かいます。

大斎原
「大斎原」の大鳥居

熊野川、音無川、四村川と流れる3つの川の中州にある大斎原(おおゆのはら)。ここに社殿が建てられたのが熊野本宮大社の起源です。

3つの川の中州にある大斎原(史跡)

大斎原は大洪水で社殿が何度から流されたため、現在の場所に移されました。大斎原には現在、日本一の高さの大鳥居が残り、中四社、下四社、境内摂末社の神々が祀られています。

大斎原の周りを流れる川
大斎原の周りを流れる川

境内の中は写真撮影禁止。ということで写真ではご紹介できませんが、ぜひ一生に一度は訪れて欲しい場所です。

Information

熊野本宮大社
住所:和歌山県田辺市本宮町本宮
問合せ先:0735-42-0009
※バス駐車場あり

バスは奈良の「橿原神宮前」へ

バスに乗り込み奈良へ戻ります

再びバスに乗り込み、一路、奈良を目指します。旅の疲れとバスの揺れで心地よい眠りに・・・と思ったらとんでもない。

東川宮司さんによる「関裕二先生にここが聞きたい古代史の謎」シリーズが始まりました。次々と質問、疑問を投げかける東川宮司さんに、関先生もタジタジ!?

面白過ぎて寝れない・・・。

あっという間に「葛木御歳神社」に到着。東川宮司さんと車組とはここでお別れし、「橿原神宮前」まで送っていただきました。

翌日、福島へ戻るオットのためにこの日は大阪で泊まります。神々しいまでの奈良・和歌山の余韻が吹っ飛んでしまうような梅田の街の喧騒。

バスツアーそのものは1泊2日でしたが3日ぐらいに感じるほど濃厚・濃密な時間でした。ツアーを企画してくださったKさん、ガイドを務めてくださった葛木御歳神社の東川宮司さん、心に沁みるお話を聞かせてくださった熊野速玉大社の権宮司・上野潤さん。

そして、ご一緒してくださったツアー参加者の皆様に厚くお礼申し上げます。また、どこかで再会できるのを楽しみにしています。

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この記事を書いた人
ちくわ

旅行メディア編集長兼ライター、総合旅行業務取扱管理者、旅行会社勤務経験あり、目黒区ボランティアガイド見習い中。プライベートでも古代史オタクとして年に数回フィールドワークに出かける旅好き。時々バス愛がさく裂!?

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