インドで僕も考えてみた② バスに乗りデリーの街へ
さて、インドをバスで旅するレポ。
いよいよ、観光初日を迎えました。
到着は深夜のため真っ暗で何も見えませんでしたが朝になり、
日の出と共に風景が見えてきました・・・が、
なんとなく霞みがかってる感じ。靄かな?
実はインドでは大気汚染が深刻な社会問題になっていて、
その原因がディーゼル車の急増だとか。
市街地は特に空気が悪く、
排ガスによって空が霞んじゃって遠くが見通せないんです。
大気汚染というと中国を思い出すかもしれませんが、
インドの方が実は問題。
WHO(世界保健機関)のランキングによれば、上位25都市のうち
13都市がインドで、デリーは北京の2倍、3倍ひどいともいわれてるそう・・・。
朝食を摂り、荷造りを済ませたらバスに乗り込みます。
今回のツアーは20人以上なので、そこそこ大型なバスで巡ります。
インドのバス事情ですが、
公営のものと民間のものの2タイプあるのは日本と同じ。
州をまたがり走るもの、長距離運行のもの、
ローカルバス(路線バス)があります。
それ以外に、僕たちのように旅行者を案内する貸切観光バスですね。
しかし、いろんな方のブログを見ると、
インドのバスはなかなかやっかいで、
バス停はあるようなんですが、そこでバスが停まるわけではなく(!?)
乗りたい人はバスを走って追いかけながら飛び乗るらしい・・・。
そうとうたくましくなければ、ローカルバスに乗るのは危険?!
至難の業なようで・・・。
ホント、貸切バスで回るツアーでよかった!
最初の目的地「インド門」に向けて出発すると、
人々の生活や国民性を感じるような風景が続きます。
インドは車通勤が多く、
それ以外にリキシャという乗り合いタクシーみたいなもの。
それらがもう道いっぱいに詰め込まれて渋滞、渋滞、渋滞・・・
これじゃ空気も汚れるわけだなぁと改めて感じました。
ちなみに「リキシャ」ですが、
英語ではRickshaw(リクショー)といい、
日本由来なのではといわれています。
写真のものはオートリキシャですが、
人が引っ張る人力車タイプは西インドの都市、
コルカタにまだ残っているそうです。
こんな感じ・・・。
それともうひとつ、ゴミが多いこと。
美化という観念がないのかなぁと思うぐらい、
どこに行ってもゴミだらけ。
最初はめいっちゃいそうでしたが、半日足らずで見慣れてしまいました。
お部屋が汚い「汚部屋」とか、ごみ屋敷などを
TVで見かけますが、見慣れると案外??
お尻にやさしくなかったインドのバス
さて、今回の旅のバス、乗り心地は、
シートは固すぎず柔らかすぎずの普通の感じ。
しかしサスペンションは固めでトラックのよう。
荒れた舗装では下から突き上げるような振動が腰を襲います。
短距離はまぁいいとして、長距離走ると腰が痛くなりそうです。
インドっぽい看板。
有名な俳優さんなのかな?文字が読めず意味がわかりません。
ホテルを出発して約1時間、バスはインド門が近づいてきました。
遠く車窓から見え始めたインド門は、
フランスのエトワール凱旋門を思わせます。
近づくにつれ、その大きさも想像以上に大きいと実感しました。
インド門は、激戦だった第1次世界大戦の戦死者を弔うために、
1929年に建てられた高さ42m の門です。
インド門の門柱には、9万人におよぶ戦没者の名前が刻まれています。
ちなみにエトワール凱旋門(フランス)は高さ50m、
アウステルリッツの戦いの戦勝記念としてナポレオンの命により着手され、1836年に完成しており、インド門の方が約100年新しい門になります。
ちなみに凱旋門の下にも第1次世界大戦での無名戦士の墓があり、
現在では慰霊門であることは、
インド門も凱旋門も共通しているようです。
バスを降り、霞がかってはいるものの、
朝のさわやかな空気の中、インド門に続く道を歩いていきます。
近付けば近付くほどその大きさに圧倒されます。
この門の下は凱旋門のようにくぐることはできませんが、
足元から見上げるとその壁面に戦没者の名前が細かく刻まれているのを
見ることができます。
インド門の警備のために警察官が多くみられました。
中には小銃を下げた警察官も。
一見公園のような風景ですが、
実はラージ・パト通りという広い道路の東端にインド門はあります。
インド門付近は交通規制で車は走っていません。
インド門からは一直線で大統領府とつながっています。
夜景が美しいといわれていますが、
観光に訪れたときは朝だったので無料素材から見つけてきました。
こんな感じ。
とても幻想的な風景ですね。
門の下には石碑、そして絶やすことなく慰霊の火が灯されています。
約30分ほどインド門周辺を散策してバスに戻ります。
インドでよく見かけるTATA製バス
ここで今回、お世話になるバスを紹介します。
このバス、フロントグリルに「SHEENA」のエンブレムがついていました。
後で調べてみるとインドの自動車会社のTATA製のバスとのこと。
東南アジアでは韓国のヒュンダイが比較的多いのですが、
こちらインドではTATAのバスを多く目にしました。
「TATA」とは、梵語で「父」という意味だそう。
タタ・モーターズ、激安車「ナノ」を2009年に発売して
当時はかなり話題になりました。
お値段なんと29万円!もちろん新車です。
インドの乗用車の約8割は小型車で、
そのほとんどのシェアを独占しているのはなんと日本のスズキ(マルチウドヨグ)。
ここをなんとか奪還すべく、チャレンジしたのが「ナノ」だったということです。
つい先日、タタ自動車はジャガーやランドローバーを買収。
高級車から超激安車まで幅広いラインナップで、
顧客層を拡大しているようですねー。
ペルシャ文化とインド文化の融合「フマーユーン廟」へ
全員無事乗車したことを確認したら、
次なる世界遺産フマーユーン廟へ向かいます。
デリーの市内は新旧ふたつに分かれており、
ムガル帝国時代の首都があったオールドデリー(旧市街)と、
イギリスの植民地化の際に整備した地区がニューデリー(新市街)になります。
インド門はニューデリー、
そしてこれから向うフマーユーン廟からオールドデリーに入ります。
インド門からフマーユーン廟までは約10分。
バスに乗ったと思ったらもう到着です。
バスを降り、森の中のような遊歩道を進み、
入場ゲートをくぐるとその先はフマーユーン廟です。
このフマーユーン廟、ムガル帝国の第2代皇帝フマユーンの死を悼み
建築された霊廟で、世界文化遺産になっています。
庭園に囲まれた霊廟で、四つの区画に分割された庭園も建物も
左右対称に造られており、
この様式「ムガル建築」が後のタージ・マハル建設に大きな影響を与えたそうです。
途中、放し飼いになっている孔雀に遭遇・・・。
自由だっ!
順路に沿って進むと、正門が見えてきます。
正門を通して見えるフマーユーン廟は、タージ・マハルをイメージさせます。
フマーユーン廟に向って配した水路を中心に、
シンメトリーな風景が広がります。
フマーユーン廟の庭園は「天上の楽園」を模写したものといわれていますが、
確かに美しい!
庭園を進み、霊廟の内部へ。
廟外側のアーチは、赤色の砂岩に白色の大理石を組み合わせたもので、
幾何学的な文様になっています。
上の方にちらりと見える外殻ドームはすべて白の大理石でできてるそう。
急な階段を登り、建物の中に入ります。
中央のドームの下には綺麗な装飾が施されており、
フマーユーンの白大理石の石棺「模棺」が安置されています。
模棺とは仮の墓で、その下に埋葬されているとのこと。
そしてこちらはハミーダ・バーヌー・ベーガム(フマーユーンの王妃)と
ダーラー・シコー(フマーユーンの皇子)等の模棺。
フマユーン皇帝は政治的には大きな功績を残すことはなかったようですが、
王妃が亡き夫のためにこの霊廟を建てたことで、その名を歴史に残すことができたとか・・・。
嫁、エライ!
ペルシャとインドの建築様式を融合させたこの美しい様式は
そののち、タージ・マハールというムガル建築最高傑作をうみだすことになったわけですな。
建物内を抜け、階段を下って霊廟の外に。
ここもやはり急な階段・・・。
霊廟側からの庭園とその先の正門です。
ふんだんな水と緑あふれる庭園は、まさに「エデンの園」。
富の象徴として、王の安らぐ場所にふさわしい姿をいまもなお残しています。
順路に沿って出口ゲートに向います。
途中、道端で犬が気持ちよさそうに寝ていましたが、決してかまってはいけません。
東南アジアもそうですが、狂犬病の予防接種をした犬は皆無なので、
万一噛まれでもしたら大変ですので・・・。
さて、次の観光先は「レッド・フォート」です。
ロバート・レッドフォードではないですよ!
・・・・。
さて、気を取り直して
次回はバスで移動中の車窓から見た
インドの今をお伝えしましょう!
(--続く--)
[Text&Photo by Kota]
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